ほけんの時間のリアルな口コミと評判がわかる体験談

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今年の1月に第二子が誕生し、家族が増えました。

家族構成が変わると長い目で見たときの人生設計が大きく変わるため、改めて保険のプロに人生設計の組み直しをお願いしようと考えました。

そこで利用したのが「ほけんの時間」です。

「ほけんの時間」は、生命保険の見直しを考えている人と生命保険のプロを無料でマッチングしてくれるサービス。

生命保険のプロと言っても、私がマッチングしてもらった方は、一味も二味も違います。

FPの資格を有した家計の医者であり、多くの保険会社の商品を取り扱いをする保険代理店も兼務したスペシャリストでした。

そして、今回、そのサービスを利用したときの話を記事にしたのには大きな理由があります。

それは、ご紹介いただいた担当のから聞いたエピソードが、壮絶で感動的だったからです。

「本気で人を喜ばせたい!」

との気概に溢れた方で、その方の原体験をぜひ多くの人にご覧いただきたいと思いました。

本人から匿名で公表することを条件に、特別に許可をいただきましたので、私が聞いたように、脚色なしで書き上げました。

ぜひ最後までご覧いただき、何か感じていただければ幸いです。

生命保険が嫌いだった過去

僕は生命保険が大嫌いでした。

僕の母は、いわゆる保険レディーだったんです。

母は、僕が小学3年生の頃に離婚して、それからすぐに生命保険の会社で働き始めました。

とにかく働き者で、朝から晩まで仕事をしていて、平日の夜も土日も働きっぱなし。

なので、僕は弟と二人で過ごすことが多かったんです。

たまにマンションの隣に住む友だちの家に、弟と一緒にお泊りすることもありました。

そのときに毎回こう思ってたんです。

「なんでウチは母が家にいないんだろう」

と。

当時は恥ずかしくて誰にも本心を言ったことはなかったのですが、母と過ごせない時間が寂しかったんです。

そして、こんな風にも思ってました。

「母をたくさん働かせる仕事が嫌いだ」

と。

母はよく家にいても仕事をしてました。ときには疲れ切って布団で横になってました。

そんな母の姿を見て、生命保険の仕事を憎んでいました。完全にやつ当たりなんですけどね。

僕は中学生のとき、反抗期で非行に走りました。

タバコ、酒、ケンカは当たり前みたいな、不良漫画に出てくるような典型的なバカでした。

僕が警察に捕まったとき。迎えにきてくれた母は泣きながら僕にこう言いました。

「ごめんね」

僕が悪さをして先生に怒られても、警察に捕まっても、一度も怒ることはありませんでした。

「私がもっと家にいれたらよかったのに。ごめんね」

とずっと謝ってるような母でした。

僕は母に何も言えませんでした。

本当は文句を言いたいことは山ほどあったのですが、いきなり謝られたら、もう何も言えないですよね。

中学生になる頃にはすべてわかってました。母親が誰のために毎日必死で働いてるのかも。

そして、仕事はそこまで順調ではないことも。

生命保険を売る仕事をしていた母

母は自分の営業成績のために、僕や弟を通じて知り合った人には絶対に営業はしてなかったみたいです。

保険屋さんって一般的には嫌われるじゃないですか。

僕も呼ばれて行った交流会で名刺出すだけで、人が離れていったことが何回もあるので知ってます。

たぶん嫌われるのを恐れていたんでしょうね。自分ではなく、僕たちが。

「友だちを大事にしなさい」が口ぐせだったので。

僕は中学三年生から変わりました。

受験勉強を真剣に取り組んで、地元では有数の進学校の高校に受かりました。

少しでも母親を楽にさせようとバイトを始めました。

「もうバイトするからお小遣いはいらない」

とだけ母親に言いました。

本当は「ウチにお金を入れる」と言いたかったのですが、なんか照れ臭くて言えなかったんです。

でも、母親が「わかった。でも無理しないでね」と目に涙を溜めてるのを見て、言わなくても伝わってるような気になりました。

ちなみに、お小遣い以外のお金は貯金してました。いつか母親に渡そうと思って。

でも、それは叶いませんでした。

母親に恩返しをしたかった

僕が高校2年生の冬でした。

日曜日の朝。珍しく起きてくるのが遅かったのです。

「きっと疲れてるだろうから、寝かせておいてあげよう」

と思ってました。

しかし、お昼になっても起きてこず、3時過ぎになってなんか変だと思って、母の寝室の様子を見に行きました。

母は真っ白な顔でした。僕は血の気が引くのを感じました。

「やばい!」と。

すぐに駆け寄って体をゆすりましたが、ピクリともしません。

口と鼻の前に手を当てて、呼吸を確認しましたが、もうすでに息を引き取ってました。

救急車を呼び、病院にも行きましたが、息を吹き返すことは二度とありませんでした。

本当に眠ったように亡くなっていました。まだ42歳でした。

お葬式が終わり、僕と弟は、三重県にある祖母の家に引き取られることになりました。

祖母は、母の死後、ずっと泣いてました。

「もっと早く、無理やりでもウチに引き戻せば、一人で働き詰めにもならずに済んだのに…」

ちょうど『過労死』という言葉がニュースで使われた始めの頃でした。

母は自爆営業をしていたのでしょう。

僕と弟は、まだ高校生には似つかわしくないほどの大金を得ました。

その大金の分だけ、僕は母の働いていた保険会社を恨みました。

「母を過労死させるほど働かせた会社が憎い…」

だから生命保険が大嫌いになりました。

この世でいちばん大切な母親を失い、僕の心はからっぽになりました。

転校した高校では、勉強にもチカラが入らず、部活もせず、友だちも作らず。

ただ学校に行っては寝て、夜は小説と音楽で頭を埋め尽くすだけの日々でした。

生命保険が大嫌い…そして…

しかし、高校三年生のとき、転機がありました。

ある日、知らない人が祖母の家を訪ねてきました。

「保険会社でお世話になった元後輩の長谷川です」

聞くと、母の知人から地元の住所を確認し、東京から5時間以上もかかる三重県にやってきたとのことでした。

長谷川さんは、母の仏壇の前で手を合わせると、「うっうっ…」と泣き始め、「ありがとうございました…」と繰り返し感謝していました。

長谷川さんからお供えを受け取ったお礼にお茶を出すと、長谷川さんが「あなたが長男の〇〇くん?」と聞いてきたので、うなずきました。

それから長谷川さんから、仕事場での母の話を聞きました。

母は、お客様と同僚を誰よりも大切にしていたらしいです。

お客様には無理やり売り込むことを絶対にせず、いくらノルマが厳しくても、お客様に必要のない保険は絶対に提案しなかったそう。

「お母さんが亡くなってから、担当していたお客様の引き継ぎで回ったんだけど、ほんとにお客様に愛されてたんだなって。だって、思い出話をすると、みんな泣くんだよ。『人として大好きだった』って」

また、ノルマが達成できない人のサポートや自分の見込み客を渡したりと、母に助けられて保険の仕事を続けていた同僚がたくさんいたこと。

長谷川さんもそのうちの一人だったそう。

「自分のことよりも、他の人のことばかり考えていて。お客様のため、仲間のために、平日も土日も朝も夜も関係なく働いていたでしょ」

母は人前で話すのが苦手で内向的なタイプ。しかもお客様を誘導するようなズル賢さはなく、不器用で優しすぎる人。

でも誰よりもお客様のことを考え、新人の人が入ってきたら誰よりも面倒を見ていたそう。

「あなたのお母さんは、私たち同僚にとって、なくてはならない存在だった。おそらくお母さんがいなかったら、今残ってる人たちもみんな辞めていたはず。それくらい、あなたのお母さんにお世話になった人ばかりよ」

万年最下位の成績で、離職率もダントツに高かった支店を、全国でも有数の支店にまで成長させたのは、母が愚直に働く姿を周りが見ていたからだとのことでした。

「だって、もうベテランなのに、はじめてのお客様と話すときはいつも口が震えるくらい緊張してるのよ。しかも、契約件数が足りない人がいたら、自分の見込み客を渡しちゃうのよ。自分もノルマ厳しいのに…」

長谷川さんは言いながら、目元をハンカチで拭います。

「そんな姿を見たら、私も、もっと頑張らなきゃって何度励まされたか…。今でもあの人みたいに頑張らなきゃって励ましてくれる、そんな心からの恩人なのよ」

長谷川さんから聞く母は、僕が予想していた姿とはまったく違っていました。

会社にノルマを課せられて嫌々長時間働いているのではなく、お客様のため、仲間のために、一生懸命に働く母の姿が目に浮かびました。

思い返してみれば、母は人の喜ぶ顔を見ると、いつも笑顔になっている人でした。

たとえば、僕の誕生日でケーキを買ってきたときも、母は自分ではケーキを食べずに、必ず僕と弟にわけてくれたんです。

「私はダイエット中だから、オマケよ」って。

実際には全然太ってなくて、むしろ痩せてるのに、そんな風に言うんです。

それで「やったー!」って僕や弟が笑っているときも、母は必ず笑っていました。

だから、仕事でも同じで、きっと人の笑顔が見たくて、つい頑張り過ぎてしまったのだと、そう思いました。

おそらく長谷川さんがウチを訪れていなかったら、僕は生命保険会社をずっと恨み続けていたことでしょう。

間違った母の過去を記憶に宿し、後ろ向きな人生を送っていたかもしれません。

でも、僕はその日から変わりました。

人の喜ぶことを何よりも大事にしていた母のことを尊敬し、僕もそうなりたいと心に決めました。

そこから死ぬ気で受験勉強に励み、今でいうビリギャル並みの躍進で、第一志望の早稲田大学に合格。

大学卒業後は、母の勤めていた保険会社に入社して、8年間プランナーに従事し、現在は独立。

保険に特化したファイナンシャルプランナーとして、保険代理業を通じて、より多くの人を幸せにするために活動しています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

私は話を聞きながら、思わず何度も目頭が熱くなってしまいました。

不器用ながら周囲に尽くすお母さんの姿を想像するだけで、未だに書きながら、泣きそうになってます。

もちろん、話を聞いただけでなく、人生設計の見直しを完了し、新たな保険の契約をしました。

今回、素晴らしい出会いのきっかけを作ってくれた「ほけんの時間」には感謝しかありません。

ぜひ、保険の見直しや相談をしたい際には、新しい出会いのきっかけとなる「ほけんの時間」の利用をオススメします。

「どういうきっかけで保険のお仕事を始められたんですか?」
「保険のお仕事で最も大事にされることは何ですか?」

きっと他の人にはないストーリーがあるはずです。

すばらしい人との出会いをお楽しみください。

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