働けなくなるリスクとは、働くことで得られるはずだったお金を失うことです。
生活していくためにはお金が必要です。しかし、働けなくなった途端、収入源がなくなり、家賃、食費、その他の支払いは、貯金で補うしかありません。
もう働かなくても生きていけるだけの資産がある人には、働けなくなるリスクはありません。
しかし、労働者の95パーセント以上の人が、この働けなくなるリスクと隣り合わせで生活しています。
この記事を読んでいるあなたは、将来への想像力が豊かで頭が良く、
・働けなくなったらどうなるんだろう?
・働けなくなったときのためにどうやって備えておけばいいんだろう?
と考えていることでしょう。
この記事では、その疑問にすべて答えます。
なので、この記事を読む人は、働けなくなるリスクを知らずに不幸になることを未然に防ぐことができるはずです。
働けなくなるリスクを説明するための題材として、19歳OLの物語を書きました。
このOLの主人公は、私の知り合いです。本人に聞いたリアルな話。
説明よりもエピソードの方が伝わりやすいので、小説のような形式で書いております。
約5分ほどの長い文章ですが、ぜひともご参考ください。
父親がガンになり、働けなくなるリスクを知る
私が中学1年生のとき、両親が離婚した。
理由は、性格の不一致。どこにでもある話だけど、まさかウチがそうなるとは思っていなかった。
父親は最後まで離婚に抵抗をしていたが、母親は頑なに拒否していた。
その結果、私と1つ上の姉は父親に引き取られることになり、私たちには母親がいなくなった。
「母親なんていらなかった」
「よく考えればあんな母親クズだよね」
私と姉は、事あるごとに母親の存在を否定し、悪口を言い合った。
今にして思えば、母親に捨てられたという事実を受け入れられず、その事実を最初からなかったことにするために、母親の存在を否定したのだと思う。
母親の悪口で話が盛り上がるものの、寝る前になると、いつも吐き気を覚えるほど嫌な気分になった。
手を繋いで歩いた記憶も。自転車の後ろに乗せられた記憶も。一緒の布団で寝た記憶も。
胸があたたかくなるはずの思い出が、すべてどす黒いものになっていく感覚。
「母親との記憶はすべて忘れたい」
私はずっとそう願っていた。
中学3年生になり事実を受け入れ始めていた頃、突如、父親が末期ガンであることが判明する。
「余命は6ヶ月です」
と医者に言われた父親は、3日後に入院した。
「もう治らない。治る可能性はゼロに近い」
昨日までワイワイと賑やかだった食卓で、父親からそんなことを言われた時、心臓がギュッと握りしめられるような感覚になった。
「これからどうなるんだろうか?」
父親の余命を知った夜は、数年ぶりに姉と一緒の布団で泣きながら寝た。
これから父親も母親もいなくて、どうやって生きていけばいいのだろう。
ご飯は誰が作るの?お金は誰が稼ぐの?
考えても、わからない。しかし、次々に出てくるネガティブな疑問。
そう。私はこのとき、父親のガンを通じて、働けなくなるリスクを痛感した。
社会人になるまでの話
受験勉強はそっちのけで、父親の妹である叔母さんと一緒に、毎日のように学校から病院に通った。
父親の顔色が、日が経つごとに土のような色に変わっていく。そんな姿を見るのが嫌だった。
でも、病院に行くことよりも、やりたいことはなかった。最後まで父親と一緒にいたかったからだ。
姉は、私よりも精神年齢が幼く、父親が大好きだった。反抗期で父親のことを嫌っているそぶりはしていたけれど。
だから、もうすぐ父親が死んでしまうという現実を受け入れることができなかったのだろう。ある日、父親とささいな口論になって、病室で暴れた。
ちょうど見舞いに来ていた叔父に羽交い締めにされつつも、まるで獣のように怒り狂い、涙を流しながら血だらけになるほど手足をぶつけていた。
「なんでパパが死んじゃうの?なんでパパじゃないといけないの?」
何かに八つ当たりをしなければ、きっと心が壊れてしまってたんだと思う。
それから姉は病院に来なくなった。
姉にとってはその日が生きている父親と会う最後の日になった。
医者の宣告通り、私が高校に入学した直後になって父親はこの世を去った。
父親のガンが知らされてからの半年間、たくさん涙を流し、現実を準備はしていた。
けれど、それでも悲しかったし、いくらでも泣けた。父親との思い出が浮かぶたびに、涙があふれてきた。
父親の死後、私たち姉妹は、父の遺したマンションに住んでいた。ときおり叔母がきてくれていたが、突然、こんなことを告げられる。
「借金を返すために、このマンションを売らないといけない」
ほどなくして、私たちはマンションを出ることになり、かつての母親のもとに引き取られた。
存在すら否定していた母親とまた顔を合わせることになる。それだけでも虫酸が走る思いだったが、不幸は重なる。
母親にはすでに同棲している新しい彼氏がいたのだ。
彼氏は40歳を超えた、頭の禿げ散らかしたおっさん。
見た目からして生理的に受け付けられなかった。それに輪をかけて、前まで私の母親だった人に、父親以外の好きな人がいることが気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がなかった。
死ぬほど嫌だったが、他に行くあてもないので、一緒に住まざるを得なかった。
姉も私と同じ気持ちだったのだろう。姉は当時付き合っていた彼氏の家に住むようになり、実家にはほとんど寄り付かなくなった。
母親とその彼氏と一緒に住みながら、私はひとりぼっちになった。
社交的な姉とは対照的に、私は内向的だった。友達も少なく、人と接するのが苦手だった。
しかも、思春期やストレスもあって、私の顔は肌荒れがひどくなった。
だから、学校が終わると、家では自分の部屋に引きこもってばかり。ひたすらインターネットで小説を読むことにハマっていた。
社会人、そして入院
高校を卒業し、私は就職した。
東京都江東区にある従業員30人くらいの印刷会社の事務員として運良く採用してもらった。
社会人になって1年経ったら、絶対に一人暮らしをしようと考えていた。
あの家から一刻も早く出たかったからだ。ようやく地獄のような日々から解放される。
給料は手取りで15万円。月に5万円しか使わなければ、1年後には100万円の貯金になる。
そのくらい貯金できればひとり暮らしを開始できるだろう。
そう思っていた。
しかし、入社して4ヶ月経った私は、重い肺炎に罹り、2週間、入院することになる。
すっかり治る頃には、あっという間に有休はなくなってしまった。
ようやく仕事も覚えて、先輩の役に立てる実感が少しずつ芽生えてきたときだった。
病院のベッドで、私は家よりも居心地のよい場所で、不安に駆られた。
「こんな私はいつになったら一人暮らしができるんだろう?」
私にとって、一人暮らしは悲願であり、絶対に達成したい目標だった。
退院。そして、働けなくなるリスクを考える
だから、退院してからすぐに、一人暮らしを開始するために、都内で賃貸の物件を探した。
シェアハウスなら安いけど、他人と会話するのが嫌だから、それは避けたい。オートロックじゃないと防犯的に危なそうだし。
都内で賃貸を借りる場合、私の条件に合う物件は、最低でも6万は超える。家賃だけでも給料の約半分が消えるのはキツイけど、しょうがない。
最悪、土日は副業をすれば何とかやりくりできる。
敷金礼金、家具などを揃えると、初期費用として約40万円ほどが必要なことがわかった。
100万円を貯めて、そのうち40万円がなくなっても、60万円残る。来年は成人式だから、その費用として30万円は必要だけど、それは何とかして貯めればいい。
しかし、私は物件情報を探しているときに、気が付いてしまった。
「働けなくなったら、どうすればいいんだろう?」
働けなくなるリスク。
それに備えるには、いくらのお金を貯めるべきなのだろうか?
父親が入院している姿がフラッシュバックした。
考えれば考えるほど悩みが大きくなった。
毎晩、実家からずっと出られず苦しめられるような夢を見て起きた。
働けなくなるリスクは私にとって、大きなカマを持った悪魔のような存在になっていた。
そんなある日。とある出会いによってその悩みから解放されることになった。
それは何気なく見ていたテレビのCMだった。
「万が一、働けなくなったときに備える保険」
そのフレーズが頭に残った。これは…思いとすぐにスマホから検索をした。
『働けなくなったときに 備える 保険』
検索表示されている1位から20位までのページをしっかり読み込んだ。
読めば読むほど、私にぴったりの内容にしか思えなかった。
就業不能保険、もしくは所得補償保険と呼ばれる保険は、病気やけがで長期的に働けないと場合の収入をおぎなうために作られたものだ。
「これだ!これなら保険料を毎月払ってさえいれば、貯金をいくら貯めなきゃいけないと悩む必要はなくなる」
しかも、若いうちに加入しておけば、月額費用は安くてすむ。毎月たくさんのお金を貯金するのは大変だけど、5000円以下の保険の支払いなら余裕だ。
さらにインターネットで調べているときに、こんな一文があった。
「インターネットでの情報収集だけで、全てを知った気になるのは危険です。情報収集は十分にやった上で、保険のプロの意見も参考にすべき」
ごもっともだと思った。インターネットは、情報はたくさんあるけど、逆に多すぎて、本当に知りたいことが探せなかったりする。
だから私は、無料で相談できる保険のプロに、インターネットから相談予約を申し込んだ。
「少なくとも3人のプロの意見を聞けば、間違えることはないだろう」
私はそう考え、相談当日まで保険についてさらに調べていった。
保険の専門家に相談
私が保険のプロを相手に必要な備えと商品について相談していくと、
「すごいですね。ほとんど説明が不要なくらい調べてますね」
3人の保険のプロは口を揃えて、驚いていた。
それはそうだ。
暇さえあれば保険について調べていて、すでに一番安くてコスパのよい保険商品を見つけ出していたからだ。
しかし、やはり専門家は違った。
相談内容が深くなっていくにつれて、
「この保険の保障範囲では、こういうケースでは役に立ちません」
と私が知らなかったことまで意見してくれた。さらに、ベストな保険の提案までしてくれる。
なんて良い人たちなのだろう、と私は内心、全員から契約を申し込みたい気持ちになった。
ただ、最終的には、ある専門家から契約することにした。
その人は保険を専門とするファイナンシャルプランナーでありながら、他にもお金にまつわる知識がずば抜けていた。
この人なら長く付き合っていける。
それが決め手だった。
それから8ヶ月間、順調に一人暮らしのための資金を貯めつつ、保険の契約をした。
プロローグ
20歳。
その節目になって、私は一人暮らしを始めた。
4年後の私から、19歳の私へ言いたいこと
一人暮らしを始めてから、毎日、最高の気分で、何事にも前向きになれた。
仕事もうまくいったし、趣味友達もできたし、彼氏もできた。
もっと早く始められたらよかったなーって今でも思う。
心に余裕ができて、あれだけ口をきかなかったら母親とも仲良くやってるよ。
そして。一番びっくりすると思うけど、私は、彼氏ともうすぐ家族になる。もう、ひとりじゃない。
これは、あのとき、必死に悩み、苦しみ、考え抜いた19歳のときの私がいたからこそ、今がある。
だから、当時の悩んでいた私に、こう言いたいの。
「本当にありがとう」